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Produced by ITOHEN

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伝統染織物の法衣を纏う

「たて糸」 のこだわり

輪袈裟や仏具を制作するのは、福岡県在住の女性職人です。

物には作るものの念いが宿ると私達は考えます。

伝統染織物の法衣に対する想い

だからこそ、どのように法衣に向き合い制作するかを 私達はとても大切にしています。

 仏様に携わる仕事をしているという事は、私達の誇りでもあり、毎日背筋がのびるような気持ちでひと針ひと針を心を込めて制作に携わっています。

​ たて糸の輪袈裟や仏具には「伝統染織物」を使用しております。日本には昔からその土地土地に多くの素晴らしい伝統染織物があります。

​ 祖先の方々がずっと大切に守ってきた伝統の染織物から 身につけた時に感じるあたたかさや優しさをぜひ感じていただきたいです。

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一針一針つける方を念いながら手縫いで縫う輪袈裟は、

つけてくださる方が長時間つけていても疲れない、やわらかさと軽さ、

そして長い間使用してもよれてこない縫製の丁寧さを心かげております。

職人の養成には、基本となるひたらすら真っ直ぐに等間隔に縫うという技術を何十時間も繰り

返します。そこができてからやっと次の工程へ進めます。そこには機械ではできない人の手の

もつ熟達の技があります。

私達がつくるものを通して、身につけてくださる方が何かをそこから感じていただけたら…そ

う私達は願います。

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心に響く伝統染織物

日本には古くから日本各地に伝わる伝統の染織物が沢山あります。

その温もり、素朴な風合いから庶民の着物として日本人の心を魅了してきました。

しっとりと肌に馴染む織りや一度馴染むと色落ちしない染め、飽きのこない色柄。

心を込めてつくられた織物は、着る人を魅了し、見る人をひきつける魅力にあふれています。

糸の具合や色だし、手間をおしまない高度な技術、日本に古来から伝わる人の手のぬくもりを染織物を通じて感じていただければと思います。


伝統染織物ご紹介

伝統染織物

小倉織は、江戸から大正にかけて現在の福岡県北九州市周辺で織られていた木綿の織物です。徳川家康が鷹狩の折りに小倉織の羽織を着ていたとか、細川忠興が他の大名への贈り物にしたという記録が残っています。 小倉織は、たての糸の密度が高く丈夫な布なので、袴や帯、羽織などとして日本全国で広く愛用されていました。明治時代の文豪の小説の中に小倉袴をはいた書生や若者がたくさん登場することからも当時の人気ぶりが分かります。 しかし、服装の変化や時代の移り変わりに伴って小倉織は昭和の初めごろには姿を消し、地元でさえ忘れ去られてしまっていました。 近年、小倉織の生地の緻密さとはっきりした縞の美しさに気が付いた人々の手によって小倉織は蘇り、地元の文化としての新しい歩みを始めています。 豊前小倉織研究会では北九州地域で栽培した綿を糸車で紡ぎ、手織りならではの小倉織を制作しています。

福岡県
【小倉織】
福岡県
【久留米絣】

「絣」は日本を代表する伝統的な木綿織物です。
織られる際に柄がかすれて見える事から「かすり」と名付けられたと言われています。久留米絣の特徴は、くくり染めをした経(たて)糸と緯(よこ)糸をあわせた 複雑な柄の素晴らしさと、着るたびに肌になじむ風合いのよさです。 絣が出来上がるまでの作業は、柄づくりから括り、藍染、織り、検査までおよそ30工程にもおよび、完成まで約2ヶ月を要します。 この久留米絣の複雑で高度な伝統技法は、昭和三十二年に無形文化財に指定されています。

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福岡県
【博多織】

満田三右衛門は、鎌倉時代、宋から織物、朱、箔、素麺、麝香丸の5つの製法を持ち帰りました。中でも織物技法だけは家伝とし、「広東織」として独特の技術を加えながら代々伝えました。これが博多織の起源となります。250年後、子孫の満田彦三郎が明国へ渡り、広東で織物を研究して帰り家伝の継承をします、その後彦三郎は博多に住む竹若藤兵衛に秘伝を伝え、その技法に改良工夫を施し、地質厚く,浮線紋と柳条がある織物を開発しました。これに土地の名前をとって、「覇家台織(はかたおり)」と名付けます。博多織の誕生です。博多織の特徴の「献上柄」は、江戸時代に筑前黒田藩主が徳川幕府に献上したことに由来し、この名前がつけられました。真言宗の法器、独鈷と華皿を図案化しており、博多織の原点となった模様です。

本場大島紬は、長い歴史と伝統を誇る鹿児島県を代表する伝統的工芸品である織物です。
大島紬の工程は、大きく分けて30数工程あり、図案に始まり織り上がるまで半年近くかかり、1つ1つの工程が、非常に複雑で高度な熟練した技術が要求されます。
  長い歴史のなかで商品や技術開発がすすみ、その結果、緻密な絣模様や、軽くて、暖かく、しなやかで、着くずれしないなど数々の賞賛される優れた特徴が生まれました。 現在、大島紬は伝統的な泥大島や、泥藍大島といったものから、ニューカラーニューデザインの色大島や白大島と、今では、色・柄・風合いなど豊かなバリエーションをもっています。 このため、着用範囲も広がりおしゃれ着としての気軽な外出着としてだけでなく、お茶会や、成人式・結婚式にと色々な場面で着られるようになりました。
  そして、今また、洋装・インテリア・小物としての大島紬の製品化も進み、世界的デザイナー森英恵さんがパリコレで大島紬婦人スーツを発表されるなど、洋装分野での大島紬も脚光をあびてきています。

鹿児島県
【本場奄美大島紬】
山口県
【柳井縞】

「柳井縞(やないじま)」は、素朴な木綿織物として、古くから親しまれてきた伝統織物です。柳井が商都として栄えていた江戸時代、柳井縞は綿替(木綿商人が職人に原料を渡し、織る手間賃を払って製品を引き取る方法)として発達しました。これが柳井木綿として全国に名を馳せたのは、江戸中期の頃からです。岩国藩が宝暦十年(1760年)から始めた織物の検印制度によって、高い品質が保証されていたからだと言われています。しかし、近隣諸国の織物業衰微という時代の流れは柳井縞も例外としてはくれず、明治の後半から急激に衰退して、大正初期以降は幻の織物となってしまいました。近年、伝統の芸を復活させようという声を受けて再現した「新生柳井縞」は手織りの風合いを大切にしながら新しさを加えて創作した木綿です。その素朴な手織りの感触は「柳井縞」ならではです。

沖縄県
【紅型】

紅型(びんがた)とは、琉球染物、沖縄を代表する伝統的な染色技法の一つ。14世紀の紅型の裂が現存しており、技術確立の時間を考慮すると、その起源は13世紀頃と推定されている。「紅」は色全般を指し、「型」は様々な模様を指していると言われる。

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